アレクセイと泉



「アレクセイと泉」というドキュメンタリー映画を観てきた。
ちょっと違うかもしれないけど、いまの日本でいうところの飯舘村のような、原子力発電所からは、離れているけど、風向きによって放射能の数値が高くなって住めなくなってしまった場所に暮らす村人(ほとんどが70代の老人)たちと、村人が拠り所にしている泉の話。ちなみに、アレクセイというのは、主人公であり、その村に住む唯一の若者の名前。物語のストーリーテラーでもある。老人とアレクセイの他に、村には犬と猫、馬に豚、ガチョウも一緒に暮らしている。

この映画が撮影されたのは2000年。ちょうど私もその頃ベラルーシのミンスクにいた。ミンスク医大(正式な名前は忘れてしまった)で行われたチェルノブイリ事故のチャリティコンサートに参加する為行き、数曲演奏してきた。

タイスの瞑想曲の終わりの方、知らない人が聞いたら拍手するところ(笑)で、きっと拍手来るんだろうなぁ~と思いながら弾いてたら、やっぱり、思ったとおりだったことを覚えてる。けど、あとは、何を弾いたか覚えてない。

このアレクセイと泉というドキュメンタリー映画を観て、そういえばベラルーシって良い国だったよなぁと、いろんなことを思い出した。





映画を観る前は、チェルノブイリの事故の影響で住めなくなった村に住み続ける人々の話だなんて、どんなに悲壮感漂う映画なんだろう…と勝手に想像をしていたけど、映画が始まってすぐに、背景にあるチェルノブイリの事故のことを忘れてしまうくらい美しく、村人が営んでいる日々の暮らしにすっかり引きこまれてしまった。うっかり「行ってみたい!」とさえ思ったくらい。


ベラルーシを訪れた頃の私は、チェルノブイリのような事故は、日本ではとうてい起きないと思っていたし、正直なところ、遠い国のことで、私には関係ないと思ってた。(とんでもなく罰当たりなチャリティコンサート参加者だ)

コンサートの前には、大学病院内の見学もした。日本の病院なら、入院患者が1人で1個使えるような機材が、病棟に1つしか無い…という、そのことにものすごくショックを受けたのを覚えてる。でも、向こうの人にしてみたら、別にそれがフツーみたいだった。

一方、中で学んでいる医大生たちは沢山いて、ワイワイと賑やかだった。

ミンスク医科大学の翌日は、ベラルーシの音楽学校での演奏会があり、その後は特に演奏会はなかったので観光をした。

中でも、ハティンというなんにもない村に行ったことを覚えてる。そこは、第二次世界大戦の時に、「一晩で、村じゅうの人がドイツ軍によって殺された」という悲しい場所で、父親が死んだ息子を抱き抱えている石像の写真を撮ってきてる。

後は、バレエを観に行ったり、レストランへ行ったり、コンサートを聴きに行ったりして過ごした。
レストランで思い出に残ってるのは、通訳をしてくれた女性が、たまたまその日が誕生日だったそうで、サプライズでVnを弾いたら、とても喜んでくれたこと。お別れするときに「お礼に」と、工芸品の“織物”をくれたのを、今でも大事に持ってる。

映画の中にも、お婆ちゃんたちが機織りをするシーンが出てきて「そうそう、これよ」と1人嬉しくなった。他にも、リンゴが出てきて、ロシアで食べた、小ぶりで甘酸っぱくて美味しいリンゴが懐かしくなった。日本のリンゴとは全く違う素朴な味なの。

ロシアの食べ物は、美味しいと思う。ベラルーシではキノコが名物だそうで、皆、森に取りに行くと聞いたことも思い出した。

ベラルーシで食べた料理は、なぜかあまり覚えていないのだけど、多分、(ひまわり油なのかな?)が口に合わず、付け合せの野菜やスープくらいしか食べなかったのかもね。


それから、泊まったホテルの周りに生えてた柳の木が、すべて“ボブカット”だった(笑)ことが、ものすごーく印象に残ってるんだけど、残念ながら写真はない。日本なら、横にお化けが立っていそうな柳の木だけど、ボブカットに切り揃えられているのは、なんとも可愛らしく、同じ木だとは思えない。国が違うと、こんなところも違うのね、なんて思ったものだ。


それと、今でもよく覚えているのがホテルの部屋。「誰かのお部屋ですか?」という感じの温かい作りで、あんまりホテルっぽくなかったのがすごく印象に残ってる。ベッドが、2段ベッドを分解したような(分かる?)ベッドで、かかってるカバーは、ニットのパッチワーク。ちなみに、シャワーは水しか出なかった(笑)。


滞在してたホテルから出かけるとき、毎回鍵を閉めるのに苦労して(どういうわけか閉まらないの!)、誰かしら通る人に助けてもらったり、ある時は、外出時にフロントに鍵を返したのに、ホテルに戻ったら部屋の鍵がなくて「この子が無くした!」とフロントのお姉ちゃんにめちゃくちゃ怒られてたら、掃除のおばちゃんたちがみんなして「この子は悪くない!」とかばってくれたり、通訳の人や、行き先で出会う人のほとんどが優しくていい人だった。


この旅行以来、「海外旅行では、お部屋を掃除してくれる人へのチップは弾むこと」を教訓にしてる(笑)。というのも、「(換金した)ベラルーシのお金をロシアに持って帰っても仕方ない」と思っていたので、(その当時、向こうの人にしてみたら結構なチップを)泊まってる間中、折り紙で折った鶴や、日本から持っていったお菓子と一緒にベッドサイドに置いて「ありがとう、これどうぞ」ってしてたので、鍵を無くしたと疑われた時も、お掃除のおばちゃんたちが助けてくれたんだろうなぁと思って。


その時私は28歳くらいだったと思うけど、ロシア人やベラルーシ人から「両親は来てないの?(日本から)1人で来たの?!(こんなに幼いのに…)」と驚かれたくらい、日本人って若く見えるのかもね。何をするにもいちいち「こんなに小さな女の子がよく来た」と、えらく歓迎されるので、あまりに申し訳ないから、年齢を言ったら、今度は、誰もが目を見開いて、「ホントに?」と私の顔を2度見3度見して笑った。本当に、会う人みんないい人ばかりだった。

中でも1番仲良くなったのが、通訳をしてくれた女の子で、彼女が「思い出に」とくれたヘアブラシを、私は今も使ってる。ちなみに、私は彼女に、その頃日本中の女子が使ってた(笑)スタバの黒いBagをあげたんだけど、その頃はロシアにはまだスタバが無かったから、ピンときてなかったみたいだけど。


そうそう、滞在中に私たちが使ってた移動車は、“Ambulance”救急車だった。救急車の中古車を、フツーに車として使っていることが面白かった。他にも、街中を走ってた車の中には、いろんな国の中古車がいっぱい走ってた。“〇〇建設”なんてのもあった(笑)。


アレクセイと泉の舞台であるブジシチェ村というのが、ミンスクからどのくらい離れているのかわからないけど、私が訪れたミンスクの“街の生活”とは、同じ時代とは思えないくらい、完全自給自足な暮らしをアレクセイたちは送っていて、きっと、いまでも送っているんだろうなぁ。

映画に出てくるアレクセイのお父さんは、もう亡くなったそうだけど、村にはまだ、30数人が暮らしているそう。

森や広場からは、6~150キュリーという高い数値の放射能が検出されてる村だけど、泉の水からは放射能は検出されてない。だけど、100年後くらいには、この泉からも放射能が検出されるんだろうね、人間が汚してしまったんだよね。


この映画、是非 多くの人に観てもらいたいと思う。ちなみに、私は、また観に行くつもり。
by mari4cafe | 2011-04-30 07:04
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